小档案
榊原 郁恵(さかきばら いくえ、1959年5月8日 - )は、日本の元アイドルで歌手、女優、タレント。本名、渡辺 郁恵(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原。身長155cm。スリーサイズはB85W63H88。血液型はB型。
小简介
神奈川県出身。川崎市で産まれ、3歳より厚木市に引っ越す[1]。神奈川県立厚木東高校を経て堀越高等学校卒業。ホリプロ所属。
夫は、俳優の渡辺徹。2男の母でもある。
デビューから数年間は、それまで比較的華奢な体型がもてはやされたアイドル界において、“ピチピチ”な肢体を小さめの三角ビキニに包んで、数多くのグラビアやアイドル水泳大会(後者への出演時には18歳頃までフリル付のワンピース水着を着用)などで惜しげもなく披露し、当時の青少年に大きな衝撃を与えた。いわゆる「**アイドル」のはしりで「元祖ボイン」とも呼ばれた。
天真爛漫で明るい笑顔は『明星』『平凡』『近代映画』などの表紙を度々飾り、また女性タレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績を持つ。加えて健康的でハツラツとした榊原のイメージはアイドル史の中でも際立つキャラクターとして「ナッキー」シリーズをはじめ数多くのドラマやCMでお茶の間に浸透した。
当時の高い人気から、1970年代後半にはミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出ていた。
その後も人形劇(声の出演)、絵本の読み聞かせ、料理番組、2007年には環境省より「我が家の環境大臣」に任命されるなど、活躍の場を広げるとともに広い世代に親しまれている。
2005年には自身の当り役『ピーター・パン』の「宙乗り」に18年ぶりに挑戦。当時の衣装をそのまま着て飛んで見せ、衰えない若さをアピールした(なお、このことは夫・渡辺徹には秘密にしていたという)。
この『ピーター・パン』は自身初の座長公演であり、またホリプロが初めて手がけたミュージカルという事もあって当初は興行的な成功を不安視する声もあったが、榊原は持ち前のプロ根性で見事にスリムな体型を作り上げ少年役を熱演した。
公演は都内有数の収容数をほこる新宿コマ劇場が最後尾まで埋まるという客入りで千秋楽を延ばすほどの人気となり、追加公演のチケット発売には朝から長蛇の列となった。初演での入場者数は50回の公演で12万3564名、日本のミュージカル史上で初演時に採算をとれたのは初めてであった。
また榊原はこの好演によりこの年度のゴールデン・アロー賞演劇賞および大賞を受賞した。「郁恵ピーターパン」は夏の風物詩として7年の間、毎年夏の1ヶ月を代役無しで飛び続け340回・76万人を動員したが、本人曰く「なかでも美智子様と紀宮様(当時)が観劇に来られた事が一番の思い出」。(コマ劇場閉館に関して報道ステーションへコメント)
1987年、結婚に伴いこの年で『ピーター・パン』を降板。同年10月14日に結婚式・披露宴が行われ、「 完全独占生中継おめでとう!! 渡辺徹・榊原郁恵結婚披露宴」として日本テレビ系で放送された。平均視聴率は40.1%(ビデオリサーチ・関東地区)と高視聴率を記録した。また、披露宴前後や新婚旅行の取材映像なども合わせた総集編的内容の番組も後日放送されている。
フジテレビ『ものまね王座決定戦』の総合司会を1987年から2000年までの長期にわたって(13年間)務めたことも有名で、今でも「ものまね王座の司会者といったら榊原郁恵」と言われることも多い。どんな新曲や馴染みの薄い曲でも即興で手拍子をしたりリズムに乗るリズム感のよさが話題を呼んだ。また、同局で1990年前後~2007年9月28日の間、夕方→午前枠と何度も時間は移動したものの、ミニ番組形料理番組の看板司会者として約16年もの間担当した。その間でも特に、約13年共演した井森美幸との絶妙なコンビは有名。
同じ事務所所属の片平なぎさとは同学年であり親友。互いに名前で呼び合う仲。
「私の先生」と言う題名のシングルレコードは、厚木中学校の時に憧れていた体育の先生だった「黒岩」先生をモデルにした曲である。
大事件
1976年 - 第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリ受賞。
1977年 - 『私の先生』で歌手デビュー(キャッチフレーズは「一億円のシンデレラ」)。同期デビューの高田みづえ、清水由貴子らと共に「フレッシュ三人娘」と言われた。
1978年 - 『夏のお嬢さん』が大ヒット。
1981年 - 『ピーター・パン』初演。
1987年 - 俳優の渡辺徹と結婚。