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小档案 姉がフィギュアスケートコーチでグルノーブルオリンピック代表選手の岡本...

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小档案 姉がフィギュアスケートコーチでグルノーブルオリンピック代表選手の岡本治子(石田治子)、妹に元歌手の石田ゆり(なかにし礼夫人)。かつての事務所の同僚であった奥村チヨと同じ池田市出身である。 大事件 生後二ヶ月で肺炎にかかり、瀕死のところ佐世保の米軍基地の病院でペニシリンで助けられた。 フィギュアスケート選手を経て芸能界にスカウトされ、1960年に梅田コマ劇場で初舞台を踏む。1962年上京し、いずみたくに師事。1964年『ネェ、聞いてよママ』でレコードデビューを果たし、テレビドラマ『七人の孫』(TBS)でも人気を博す。 1968年、イメージチェンジと歌手活動に専念のためレコード会社を移籍。同年末に発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録。NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場を果たした。また1993年には16年ぶりに復帰し通算10回出場した。1979年、以前から所属していた渡辺プロダクションから分社化した芸能事務所イザワオフィスに、ザ・ドリフターズなどと共に移籍。 その後は女優に専念。1977年『青春の門・自立編』で報知映画賞助演女優賞、1986年には文芸大作『火宅の人』で日本アカデミー賞主演女優賞を始め、報知映画賞、ブルーリボン賞等、数々の賞を受賞している。 また1986年の映画『時計 Adieu l'Hiver』ではフィギュアスケートのコーチ役を演じている。 テレビドラマでは、『北の国から』(1981年 - 1982年、フジテレビ)、『金曜日の妻たちへ』(1983年、TBS)などで好演。1989年上半期、連続テレビ小説『青春家族』(NHK)のヒロインを清水美砂とともに務めた(放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長だった)。 2003年下半期に放送された連続テレビ小説『てるてる家族』(原作、なかにし礼『てるてる坊主の照子さん』)で上原多香子が演じた岩田夏子はいしだがモデルとされ、自らもクラブの歌手の役柄で出演している。 テレビドラマ『祭ばやしが聞こえる』で共演した萩原健一と1980年に結婚発表、1984年に離婚発表していたが、萩原健一は後に自叙伝「ショーケン」で、実際に2人は1度も籍を入れておらず、事実婚(内縁状態)であったと告白した。ただし週刊新潮2008年4月3日号の記事によると、「未入籍は事実ではなく、萩原健一も実際には入籍していたことを認めた」とのことである。 長く新曲の発表がなかったが、2008年1月にNHKラジオの長寿番組『ラジオ深夜便』の1コーナー『深夜便のうた』の1曲として久々の新曲『オアシス』を阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲で発表。同番組で同年3月まで流された。ただし、歌手活動を再開したのかどうかは不明で本人や事務所からもこの件に関する発表はなされていない。また、『オアシス』も現在NHKサービスセンターが刊行している『ラジオ深夜便年鑑2008』の付属CDと「深夜便のうた」のオムニバスCDで聞くことができるのみである。