吉田美和的艺人档案
小档案
吉田 美和(よしだ みわ、1965年5月6日 - )は、DREAMS COME TRUE(ドリカム)のボーカルを務める北海道中川郡池田町出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。ドリカムの楽曲の全ての作詞と数多くの作曲を手がけている。血液型A型。身長164cm。映像ディレクター故・末田健の内縁の妻。
小简介
作曲家としても数多くの曲を作っているが、本人は常日頃から「楽譜が読めない」ことを公言している。作曲の際は吉田が書いた独特のメモを元に中村が採譜するという。また楽器も基本的に弾けないが、例外的にオカリナは得意としており、時折ライブ等において生演奏を披露することがある。
FUNK THE PEANUTS・アンドレ中村とオホーツクボーイズといったドリカムの変名ユニットでの活動時や、他のアーティストへ歌詞を提供する際には「観音崎すみれ」のペンネームを使用することがある(「アマレット」における彼女の役名でもある)。またアンドレ中村とオホーツクボーイズでは「岡リーナ」の変名を使用していた(前述の通りオカリナが得意であることにちなんだもの)。
毒舌で知られる歌手・和田アキ子も吉田の歌唱力を大変絶賛しており、ワンダーランドにも訪れる程である
大事件
池田町立池田小学校、同池田中学校卒業。中学時代に学校祭でバンドを結成、自作の曲を発表。また、この頃は常に成績オール5をとるなど、優秀な生徒だった。北海道帯広柏葉高等学校進学。高校時代の文集には、「将来bigになる」と記した。元ドリカムの西川隆宏とは高校時代に出会う。中村正人と初めて会った時、彼に名曲「うれしはずかし朝帰り」「週に一度の恋人」を歌って聴かせたというのは、有名な話である。その後、小泉今日子や中山美穂のバックボーカルや、中村正人と共にとんねるずなどのバックバンドに参加しながら、ドリカムの前身と言える「CHA-CHA & AUDREY''s PROJECT」を結成、ライブ活動を行う。
1995年にはアルバム「beauty and harmony」でソロデビュー。アルバムの題名は名前の「美」と「和」を英訳したところから名づけられた。ニューヨーク・LAで活躍するマイケル・ブレッカーやデイヴィッド・T・ウォーカー、ラルフ・マクドナルド、チャック・レイニー、ハービー・メイソン、グレッグ・アダムスらのトップミュージシャン達と共演を果たし、マリーナ・ショウの名盤「フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ」とほぼ同じバックが固める。ほぼレコーディング時のメンバーと共に全国ツアーを行った。
2003年3月、交際中であった映像ディレクター、末田健の離婚が成立。末田は吉田の9歳年下で、一児を持つ既婚者であった。2004年5月、入籍はしない事実婚という形での“結婚”を発表。
2004年12月公開の映画『アマレット』を自主制作し、中村正人とともに初の原案・主演を果たす。同年、NHK全国学校音楽コンクールの課題曲として「未来を旅するハーモニー」を作詞作曲。
2006年には、有楽町西武のシンボルキャラクターに起用された。
2007年9月26日、末田が胚細胞腫瘍で逝去。
2008年、10年振りに改訂された広辞苑 第六版の広告媒体に著名人8人の1人として起用される。キャッチコピーは「ことばには、意味がある。」で、吉田に選ばれた言葉は「愛」であった。
同年10月13日、吉田の出身地である北海道池田町から同町初の町民特別栄誉賞を受賞。