八神纯子(やがみ じゅんこ、1958年1月5日 -)は、シンガーソングライター。本名Junko Stanley。June Stanley名義でも活动している。
爱知県名古屋市千种区出身。(株)八神製作所第4代会长の八神良三の长女として生まれ、约3000坪の邸宅に育つ。
3歳からピアノを、小学校1年生から日本舞踊を习う。幼い顷から歌が大好きで、自宅でも壁に向かってザ・ピーナッツやシャーリー・バッシーの歌をうたいつづけ、両親を呆れさせたという。爱知淑徳高等学校合格と共にヤマハのヴォーカルタレントスクールに通い始める。16歳のとき初めて作词作曲した“雨のひとりごと”が、1974年、第8回POPCON优秀曲赏に入赏。同年、同じ曲で第5回世界歌謡祭出场。1975年、第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト优秀曲赏に入赏。同年、第6回世界歌謡祭で歌唱赏を受赏。1976年、高校3年のとき、第17回チリ音楽祭で6位入赏。
高校卒业后は大学に进学せず音楽の道に进み、20歳のとき“思い出は美しすぎて”でプロ歌手としてメジャーデビュー。この曲は売上11.5万枚の小ヒットとなる。デビュー2曲目の“さよならの言葉”は他人が書いた曲で嫌々歌ったところ1.9万枚しか売れず、商业的に失败となる。
歌手として引退の危机に陥っていたとき、原宿の歩道桥で不意に曲想を得て“みずいろの雨”を作曲(作词は三浦徳子)。この曲を同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、1978年から1979年にかけてレコード売上58万8000枚を记録、自身最大のヒット曲となる。その后も“想い出のスクリーン”“ポーラー・スター”“Mr.ブルー 〜私の地球〜”などもヒット、TBSテレビ系の音楽番组“ザ・ベストテン”にも度々出演していた。なお、同番组の司会者だった久米宏からは、自身の体型や衣装の话などでよくからかわれ、毎回登场の度に困惑していたという。
また、1980年暮れの“第31回NHK红白歌合戦”には、これも56万4000枚の大ヒットとなった“パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜”で初出场を果たした。この顷、郷ひろみとの交际が週刊誌に取沙汰されたこともあったが、八神によると郷は映画や食事に行く程度の友人に过ぎず恋人ではなかったという。
1983年に渡米して活动の拠点を米国ロサンゼルスに移す。そして全曲英语のアルバム“I WANNA MAKE A HIT WIT-CHOO(恋のスマッシュヒット)”を発表したが出来映えに満足できず、自らの限界を感じてヤマハから脱退。1986年、2歳上のイギリス人の音楽プロデューサーJohn Stanley(ジョン・スタンレー。40歳のときロースクールに入学し、のち弁护士に転じた)とハワイで挙式。夫との间に2子あり。アメリカ合衆国カリフォルニア州シミバレーのウッドランチ在住。1990年から2000年までは、毎年、帰国してコンサートやディナーショーをおこなっていたが,2001年以降、日本でのライブ活动はおこなっていない。